幸せと達成感

幸せってなんだろう。

願いが叶うこと。

夢を実現すること。

経済的な余裕を勝ち取ること。

オリンピックでメダルをとること

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以前、雲黒斎さんのYoutuve動画をみていたら

まさに、この「幸せ」がテーマになっていた。

雲さんは、そうした欲望達成型の幸せを

「それらは、幸せのイミテーション」と話していた。

「それらは、幸せというより“達成感”と呼ぶべきものだ」と。

「私は勝ったんだ!」

「私はほしかったものを手に入れた!」

「長年の努力の末、ついに願いが叶った!」

これらはとても素晴らしいことだ。

マスメディアは「これでもか」というくらい、

その「努力の末の結果、栄光」を報じる。

でも、それって一瞬なんですよね。

そして、手に入れたと思ったら、すぐまた次がほしくなる。

何かができたら、その上を目指したくなる。

月面宙返りができるようになったら、今度は新月面!

次々にできることを増やしていく。

次々に新しいことに挑戦する。

「動け!動け!」

私はキャリア教育の教員として、

そうした社会全体の流れ?みたいなものに同調し、

その流れにのれる人材を育成してるのかも?

と思うときがある。

こういうのの問題点っていろいろあるけど、

一番はやっぱり、その流れのなかで成功できる人は一握り、

ということだと思う。

毎日、オリンピックの映像をみると、

「わぁ、すごい」ってなるけれど、

テレビに映る人たちって、そのスポーツ界で

何百万人に一人の超逸材なんだよね。

そこは、ちゃんと見といた方がいいと思う。

つまり、「達成感」を味わえる人って、とても少ない。

逆に「敗北感」を味わう人の方が圧倒的に多い。

そして、「達成感」って一瞬で終わるから、

幸せを感じられる時間も、実はあっという間。

オリンピックがわかりやすいから、例にすると

4年間ひたすら地獄のようなトレーニングを続けてきて

でも、輝けるのは一瞬。

それも、「メダルをとる」という形で輝けるのは、

一握りのアスリートの中のさらに一握りのなかの3人。

「敗北感」や「くやしさ」に沈むことも

(トップアスリートであっても)多々ある。

幸せと達成感は実は関係ない。

そう考えた方が、実態に合ってる気がする。

では、幸せとは何か。

この「幸」という漢字。

語源は刑罰につかわれる「手かせ」をかたどった文字、

という説がある。

「手かせ」をはめられるだけで済んだ。

重い刑罰(例えば、死)を免れた。

それが「幸せ」。

「あー、よかった」「今日も生きていられる」

そう感じられたら、それが幸せ。

何かができるようにならなくても、

何に挑戦しなくても、笑って過ごせること。

トーナメントで優勝しなくても、

スポーツで身体を動かすこと自体を楽しめること。

自分の小さな変化を感じて、味わえること。

教育も「何かができるようになる」こと、

「新しいことへの挑戦」に誘導するだけじゃなくて

興味をもった分野にとりあえず「参加」して、

楽しかったら続ける(イヤだったらすぐやめてOK)。

そんな感じで気軽にいこう!

って伝えられたらいいなぁ。

「幸せ」=「達成感」という思い込み、

その「手かせ」をはずせたら、

本当の幸せ、手にできるかもしれません。