2020-01-01から1年間の記事一覧

宗教改革が起きる

私は以前、高校の教員(公民科)をしていた。そのとき、同僚の教員(地歴科)に質問した。「歴史の教科書を生徒が自分で読んで理解したら、歴史の授業、いらないんじゃないですか?」今思うと、とんでもないことを聞いている。「あなたの仕事、いらないです…

履修主義と修得主義

物事には根本の原理、考え方がある。教育においては、何をもって学習者が「学んだ」ことにするか、である。日本の学校教育の場合、授業を「履修」した(受けた)ことをもって、「学んだ」ことにしている。履修主義だ。未履修問題というのは、授業を履修しな…

「教える」ということ

子どもが学校で学ばないことの一つに「教える技術」がある。 子どもどうし「互いに教え合う」のは、とても有効かつ有意義な学習だが、 「教える」ことには、その理論と技術がある。 だけど、子どもは学ばない。 きっと「教えるのは教師の仕事」という前提が…

自律的な学び

教員主導の一斉授業ほど、「自律的な学び」から遠いものはない。しかし、教育界は不思議なところで、一斉授業で「自律的な学び」を促そうとする。無茶だ。 授業は「業(わざ)を授(さず)ける」とあるように、教授者が学習者を「受け身」にして初めて成り立…

主体的とは?

主体的に学ぶ、主体的に働く、というときの主体的とは何か? 「自分から進んで」やること、と答えるかもしれない。しかしそれは「自主的」であって「主体的」ではない。やることが決まっている状況で、指示や命令、つまり強制されなくても取り組む、というの…

学校の本質

学校は何のために存在するのか。 荒く言って答えは二つある。 ①社会のため。未来に向かって社会を維持できるように、有用な人材を育てる。 ②個人のため。子どもが将来、自由に生きられるように、必要な能力を育てる。 それぞれについて、もうちょっと説明す…

「対話」とは何か

長年、学校現場で働いてきて、会議や授業で決定的に欠けていると感じるもの、それは「対話」である。学校現場に必要なものは、数多く提案されてきたし、今後も提案されるだろう。しかし、「対話」だけは、導入されそうにない。なぜなら、「対話」がないとい…