教育=授業?

大学で教育学、そして授業手法を学んでから30年。

授業を研究的に実践してきた。

 

そして今、「(一斉)授業で教育する時代は終わった」、と感じている。

 

これまでの授業は、ワンオペだった。

授業の中で、集団の規律を教え、教科内容を教え、
その内容がきちんと学べているか、理解されたかどうかの評価もする。

 

行政は、その学校でちゃんと教育が行われているかどうか、
規準となる授業時数を重要な判断材料としてチェックし、
コントロールしようとする。

 

「教育する=授業する」という暗黙の前提。

 

近年、個別指導が大切だ、と言われ、
そこに注目が集まりつつあるものの、「授業という枠組みの中で」

個別指導を行うという風に現場では解釈される。

 

カリキュラムマネジメントというと、
「授業科目をどういう順番でどのように構成したらよいかを考えること」

のように思っている人も多い。

 

だが、ちょっと待ってほしい。

 

もし、学習者中心の教育をしようとするなら、一人ひとりの

学習者の興味・関心から学びをスタートすべきではないか。

 

教科、科目、単元、授業。それらを全部とっぱらったところで、

「あなたは(君は)、どんなことに興味があるの? 何を知りたい?」

というところから・・・

 

ところが、学習者中心といいながら、教わる教科、時間、授業者、

それらすべてが学習者と直接関係のないところで決められ、

あろうことか、授業者は学習者の「関心・意欲・態度」について評価までする。

 

このシステムの中で、学びに興味・関心をもつ学習者がいたら驚異だ。

 

もし、学習者中心というなら、一人ひとりの子どもに合わせたカリキュラムを、

その学習者と一緒に考えるべきだろう。

 

「学習者の興味・関心という種」を、豊かな土壌に入れ、

暖かい日差しのもとに置き、水をやりながら、その種の成長を待つ。

 

そんな風にできないかなぁ。

 

学習者中心。学習者の興味・関心が大事。探究する心を育てる。

そんなことが言われているものの、

暗黙の前提としての「教育=(一斉)授業」という枠組みはそのまま。

 

そこに大きな矛盾がある。

 

だから、現場の教員は、授業の進め方に、評価の仕方に、
とても苦しんでいると思う。

 

「教育する=授業する」

この前提をこのまま続けていいのか。

今、まさに立ち止まって考えるときがきたと思う。