義務教育
憲法第26条第2項
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。
義務教育は、これを無償とする。
この「義務教育」という言葉。
世間では、次のような意味で捉えられている気がする。
「子どもが学校に通うのは義務だよ」
これ、明らかな誤解ですね。上の条文にある通り、普通教育を受けさせる義務を負っているのは保護者であって、子どもは義務を負っていない。
子どもは「教育を受ける権利」をもっているのだ!
とすると…(ここからは妄想)
「不登校」って何が問題なんですかね?
子どもが「学校へ行きたくない」と言っている。
言葉の意味からいって、子どもが否定の意思表示をしているのは「学校へ登校すること」であって、「教育を受けること」ではない。
学級集団が嫌、担任の先生が嫌、授業を受けるのが嫌、部活の人間関係が嫌、
なんとなく嫌・・・
登校したくない理由はいろいろあるだろう。
それこそ、子どもが置かれている状況、子どもの性格等によって理由は千差万別だ。
そこで問い。
もし、学級に所属しなくてもよかったら…
担任の先生を選べたら…
一斉授業には参加しなくてもよく、個別指導や自主学習等、学び方を選べたら…
時間割を自分で自由に組めたら…
部活に入らなくてもよかったら…
土日完全オフで、平日の午前中だけが学校の拘束時間だったら…
それでも、嫌だといいますかね?
嫌と言うかもしれないですね。
では、さらに…
学校のサイトにアクセスしたら「登校した」ことにしちゃえばいいんじゃないの?
自宅から、図書館から、公民館から、博物館から、
公園から、カフェから、レストランから…
アクセスしたら「登校」。
オープンな普通教育の実践の第一歩。
義務教育である小・中学校に「通信制」を認めたら、比較的容易に実現できそう。
ただ、こんな反論が…
人に合わせられなくなるのでは…
がまんすることをどこで学ぶの?
自分勝手な人間にならないか?
集団行動ができないまま社会人になられたら困る!
いろんな声が聞こえてきそう。
確かに、問題は起きると思う。
でも、いまでも問題はたくさんありますよね。
しかも、最初に書いたように、誤った解釈を前提にして…
解釈を正した上で、一人ひとりの子どもに合った教育をする。
その上で起きてきた問題は、みんなの問題だからみんなで解決する。
不登校の子どもや、その親を問題視するような状況より、よほど健全な気がしますが、
どうでしょう?