時間割と教科

時間割ってありますよね。

     月曜 …

1時間目 数学 …

2時間目 英語 …

3時間目 国語 …

4時間目 社会 …

5時間目 体育 …

 

こういうの。

学ぶ内容が50分刻みになっている。

教科バラバラ。中学・高校だと担当する教員が違う。

 

これを学習者の立場から考えると・・・

学びに夢中になって面白くなってても50分で終了。

逆に、始まって5分で教員の授業の進め方や内容に

全く興味を失っても、50分は辛抱。

既に塾や独学で理解・習得済の内容であったとしても、

50分経つまでは待たなければならない。

 

こんなことが全国の教室で日々、繰り返されています。

 

「壮大な無駄だなぁ」と私は思います。

分刻みで区切られた時間を気にして学ぶ子どもも、

教える教員も気の毒というか、私もその一人。

 

まぁ、休憩というのも、人間ときには必要ですから、百歩ゆずって

時間の区切りはよしとしても、

教科バラバラっていうのは、学習者側からは説明がつきません。

 

例えば、1時間目が「数学」なのは、

年度開始前、教務部の「時間割作成パズル ?! 」で、その時間に
その数学の先生をそのクラスに入れ込まないと、パズル全体が
うまくはまらない」といった、完全に供給者側の理屈です。

2時間目が「英語」なのも、似たような理由。

 

「数学」の次に「英語」を学ぶことの学習上の効果、なんて、

まったく意識されていません。

授業を提供する側は、そんなこと、夢にも考えてないでしょうね。

もちろん、内容に関連性はない。

 

だからといって、「総合的な学習の時間」、あっ「探究の時間」で

教科横断的な学びをしよう、とか、そういうことを言いたいんじゃ

ないんです。

 

そもそも、なぜ、教科に分けられた内容を、子どもたちは、

学ぶ必要があるんでしょう?

 

教科って何ですか?

 

そこから考えたい、と思っているんです。

 

「なぜ、教科に分けられた内容を、学ぶ必要があるのか?」

私はその説明を、未だ、だれからも聞いたことがありません・・・

 

さらにいうと、

「なぜ、『知』は分けられてしまったのか?」

その根本のところから考えたい。

 

バラバラな知識を頭につめこんで、テストで吐き出して、

終わったら忘れる。

その途方もない無駄の繰り返しに、終止符を打ちたいです。