悪いのはだれ?

学校の中で、子どもが問題行動を起こす。

すると、「〇〇さん/△△くんの担任は?」となる。

学級担任には、とかくいろんな「責任」が降りかかる。

学級がうまくまとまっている(統率がとれている)と

「さすが、〇〇先生のクラスは~~」となるし、

一方、学級がまとまっていない(ようにみえる)と

「やっぱり、〇〇先生のクラスは~~」と

否定的な評価が下される。

学級がうまく機能しているとき、担任の教員は、

「きみたちを誇りに思うぞ!」みたいになるし、

逆に学級が集団としての機能を失ったときは、

自信を失い、責任を感じて、

かなりの精神的ダメージを受ける。

特に、日本の学校には、大学出たての若い教員が

いきなり学級担任になるというシステムがあるので、

そうとうきつい感じになる。

初任の教員が、4月頃は元気だったのに、

だんだん明るさを失い、夏休み前に学校に来れなくなった、

という話を聞くこともある。

教育実習やボランティアで

子どもたちと関わった経験が多少あったとしても、

初めての学校で、

1年を通しての学校行事の流れもわからないまま、

いきなり学級担任の重責を担うのは、

あまりに無茶なシステムという気がする。

授業準備もままならないまま、子どもたちだけでなく、

保護者への対応も次々に発生するからだ。

学級経営、学習指導、生活指導、保護者対応。

それら全てが1人の教員に振りかかるシステムを

変えることはできないだろうか。

この強固に存在するシステムを変えるためには、

「学級の問題は、担任一人で解決できて一人前」

みたいな学校文化が変わる必要がある。

「困ったときは、お互いさま。

 自分一人で抱え込まず、

 何かあったらヘルプを求めるといいよ。

 SOSを早めに出そう!

 いつでもサポートするから、助け合おうね」

こういう感じにならないかなぁ。

そして、そのためにまず必要なのは、

「肩の力を抜く」こと。

哲学者の竹田青嗣は『力への思想』(学芸書林.1991年)

という本の中で次のように言っている。

  ぼくがはじめに素朴に思ったのは、なぜ教師が

  悩むんだろうということです。学校教育は公的な

  もので、国家が教育のシステムを作り出して、

  先生を雇っているわけですね。つまり、先生が

  批判の矢面に立って、自分たちがおかしいのでは

  ないかとうふうに悩む必要は全然なくて、教育が

  悪いとすれば、それは簡単に言うと、全部政府と

  文部省の責任です(笑)[中略]それは企業の

  体質が悪いからといって、そこのサラリーマンが

  悪いと言えないのと同じことです。(p.129-130)

そう。教育がうまくいかないのは、

個人が悪いんじゃなくて、システムの問題。

「悪いのは全部政府と文部科学省

と開き直って肩の力を抜く。

そして、目の前の現実を冷静にみる。

「さて、何から始めようか・・」

まずはそこから始まるといいなぁと思う今日この頃。