「誰が」教えるか

NHK for Schoolというサイトがある。

小学校のあらゆる教科、そして中高で学ぶ教科について

わかりやすく編集された動画教材や解説記事などが

単元やテーマごとに掲載されている。

小学校の教育実習から戻ってきた学生によると

サポートに入ったある教室の社会科授業では

教員は子どもたちに

NHK for School(の社会科の単元)を見せる

②内容をノートにまとめされる

タブレットで振り返りを書かせる

以上

という授業を毎回!行っていたらしい。

一人ひとりの子どもへのフィードバック等は一切なし。

じゃあ、教員は何をしているかというと、

教壇で他のクラスのテスト採点?をしてたという。

これって、どうなんですかね?

この教え方?というか学び方の是非と問う前に

私の最初の感想は

「それだったら、教員、いらなくないですか?」だ。

この問いに対し、先の学生は

教員の仕事は「評価をつける」くらいでしょうか?

と言っていたが、評価だって

全国統一の社会科テスト?とかでつければいいと思う。

その方が、ずっと公平・公正で客観的だ。

テストは何度でも受け直し可として

全員が合格点、基準点に達するまで

一人ひとり丁寧に、学校として責任をもってサポートする。

その役割を果たすのが教員なんじゃないかな。

ただ、NHK for Scoolを見せて「教えた」気になる。

教員としての役割を

「正しい知識を≪伝え≫子どもがそれを身につけたか評価する」

ことだと理解していると、そうなる。

だから、大切なのは、

面白くってわかりやすい教材の開発や

教え方(例えばアクティブラーニング)の開発などではない。

教員の役割の転換、

自己認識、アイデンティティの転換だ。

「私の仕事は、今の時代、知識の伝授ではない」

ということを腑に落とすことだ。

これは、小学校だけでなく、中高、そして大学の教員についても

言えると思う。

教員の多くは、自分たちの(教員としての)仕事を

「知識(及び技術)の伝授」と思っている、だろうから。

私は、30代のころ、高校の教員だった。

そのとき、どうしても授業が上手く展開せず、

高校生との関係性も上手く築けず、悩んでいた時期があった。

学校外の勉強会に毎週出かけ、教育書も大量に読み、

いろんな工夫をしてみたが、ダメだった。

そんなとき、ある先輩に相談したら、こんな言葉が返ってきた。

「教育っていうのはね、何を教えるか、どう教えるかじゃない」

「誰が教えるか、なんだよ」

そのとき、私に衝撃が走った。

「誰が」かぁ・・

「誰が」。そこにすべてがある。

ところが、教育方法研究の大半は

「何を」「どう」教えるのが、よい教育か

「何を」「どう」教えるのが、効果的・効率的か

ということに向かっている。

「誰が」に焦点を当てた研究って、ないんだよね、本当に。

でも、本当に大切なのはそこ。

「誰が」教えるか。

だから、まずは、謙虚に足元を見つめ、未来に向かって

向上心をもって学ぶ姿勢を、今、自分が持てているか。

そこを改めて見直したいと思う、今日この頃。