国語科教育の謎

国語って不思議な教科だ。

私は、社会科教育の研究者だが、以前から思っていた謎がある。

それは・・

国語の教科書では、文学の内容も扱うが、

説明文や評論文と称して、理科や社会、哲学、音楽や芸術等の

内容も扱っている。

でも・・ 例えば、

理科や社会科の専門知識がない人が、

その分野の文章を「教える」って、難しいじゃないかなぁ。

「作品」としての文章だからといって、

必ずしも国語で扱わなくてもよいのでは?

理科の内容の説明文は教科「理科」で、

社会の内容の説明文は教科「社会」で読み解く方が

合理的なんじゃないかなぁ。

なぜ、国語で扱うんだろう?っていう謎。

以前、こんなことがあった。

国語の授業の勉強会。

ある(国語科を専門とする)A先生から

模擬授業を他の参加者と受けていて、疑問に思うことがあった。

題材は、「大陸は動く」っていう

小学校の国語教科書に載っている説明文。

A先生が、その説明文の途中に出てくる

「平面地図」について説明しているのだが、

「その地図に描かれている大陸の大きさや海岸線の角度は

実際と違っている」ことを理解していないのだ。

当たり前だが、地球は球体(三次元)で地図は平面(二次元)。

三次元のものを二次元で表現するんだから、当然歪みますよね?!

社会科教育としては基本的な知識。

ただ、そのA先生はその前提をもっていなかった・・

でも、その前提となる知識がないと、「大陸は動く」っていう話を

具体的に説明できないじゃん!って、私はそのとき思いました。

何が言いたいかっていうと、

文章って「読めれば理解できて教えられる」ものじゃなくて、

基本的な知識や周辺的な知識、背景にある思想的な流れ

みたいなものの深い理解がないと、正確には読めないってことなんです。

読解力って、現在は「国語科で身に着けるもの」みたいになってるけど、

ほんとうは、すべての教科で取り組むべきものだと思う。

社会科だって、地理や歴史、政治や経済の「作品としての」文章を

(評論でも書籍でも)子どもと教師が真剣に読んで、

まずは正確に理解すること、その上で

批判的に読み解くことをやった方がよい(と思う)。

ただ、「教科書に書いていること、先生が話したことをノートに書き、

それがテストに出される」から覚える、学ぶ、というより

よほど(内容も)身につくんじゃないかな?

以前、私が大学院生だったころ、

国語科の授業(ゼミ)に乗り込んでいってこの話をしたところ、

国語科のゼミ生はみんな「開いた口がふさがらない」という感じだった。

でも、ゼミの先生(国語科教育の研究者)だけは

「確かにそういう考えもあるよねぇ」って、ちゃんと聞いてくれた。

みなさん、この話、どう思いますか?